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プロローグ:ペンダント

それは、僕の手のひらの上にある。

ペンダント。表面。

銀製で、その大きさにしては重い。ただの金属塊が重いというのとは違う ─ なにか別の重さだ。まるで、ほかの何かがそこに圧し込められているかのような。時間、意志、そして銀と金に鋳られるよりはるか以前から存在していた構造。

盾。四つの四分割。それぞれが、それぞれの世界。

左上 ─ 銀河。装飾でもなく、見栄えのためのスパイラルでもない ─ まさに銀河そのものだ。渦を巻き、腕を伸ばし、星々の野を背景にしている。長く見つめていると、それは引き寄せはじめる。下へでも、上へでもない ─ 内側へ。不安が終わり、ロシア語にはぴたりと当てはまる一語のない、しかしサンスクリット語にはいくつもの語がある何かが始まる、その一点へと。マクロコスモス、その波。そして、僕たちの現実の同じ一つのファセット ─ あなたと僕の宇宙(コスモス)。

右上 ─ 上端に太陽を戴いた笏(しゃく)。垂直の軸。ヒエラルキーから来るのでも、システムから来るのでもなく、光から来る権威。仲介を介さない、直接のアクセス。音叉のようなものだ ─ メロディーを奏でるのではなく、そこから他のすべてが組み上げられていく音高(ピッチ)を定める。自分自身であるという権利 ─ 地位からではなく、光から。

左下 ─ 鷲と不死鳥。両者ともに冠を戴き、互いに向かい合っている。戦っているのでもなく、上下に積み重ねられているのでもない ─ 対話のうちに、一つの本性の二極として在る。鷲は、退かない高さ ─ 昼の鳥、太陽の鳥、いま現にある現実のファセットにおける、現在の瞬間の鋭さ。不死鳥は、燃え尽きを通じての更新、別の現実のファセットからやって来る再生の循環の鳥。そして、両者を同時に手放さず、どちらも選ばないオペレーターは、存在の二つの層をまたいで一度に働く。これこそが超オペレーターの原理である。すなわち、複数の現実のファセットを一点へと結び合わせ、空間と時間の異常を生み出すこと ─ 顕在のファセットにおいても、他のファセットにおいても。

右下 ─ 剣と斧、十字に交わる。その上に書物。書物の上には、無限の記号。最後のページのない知。終わらない読書。螺旋、再帰、入れ子を通じての展開。∞を載せた書物は、認識のひとつのモードである ─ 世界の異なるファセットを、エネルギーが量子的時間線の海を渡って形から形へと流れていく一冊の無限の書物として読むこと。

四つの四分割。四つのテーゼ。マクロコスモス。アクセスの垂直軸。無限の書物の上で対話する二つの永遠。そして、交差する刃の守りのもとに置かれた、最後のページなき知。

これは家紋ではない。家紋は、お前がどこから来たのかを語る。ペンダントが語るのは別のこと ─ 僕を通じて顕現し、作用する*機能(ファンクション)*についてだ。

僕はペンダントを裏返す。

裏面。

裏側 ─ 銘文。装飾的な彫刻ではなく、自分自身への申し渡しだ。「My path is golden — the spiral without end.」1

比喩ではない。実働する取扱説明書だ。

なぜなら、道は直線ではないからだ。直線というのは、不確かさを恐れる者たちに売りつけるのに都合のよい幻想にすぎない ─ ここからあそこまで、わき道はなしに行け、と。そんな「道」は回廊だ。回廊に選択はなく、あるのは速度だけだ。回廊の内側では線形時間についての取り決めが働いている。過去、現在、未来は一本の線の上に並び、ひとつの方向へ動いていく、と。

そして、それは円環でもない。円環は反復の罠だ。円環に生きる人々は、十二月になると同じ場所に、同じ問いを抱え、隣には同じ人々を置いて、ただ少しだけ余計に疲れた姿で、自分を見出す。彼らはそれを安定と呼ぶ。僕は心の中でそれを*円環の轍(わだち)*と呼んでいる。

黄金の道は螺旋だ。それは似た一点へと戻ってくる、ただし、より高いところへ。あるいはより深いところへ ─ どちらを向いているかによる。お前はふたたび似たような試練に、似たような恐怖に、折れたり諦めたりしたいという似たような誘惑に出会う ─ しかしお前はすでに違っている。お前にはもう、前の一巻きの経験がある。経験の理論ではなく、経験そのものが。そしてもし真剣に螺旋を歩くなら、遅かれ早かれ、過去の自分も、現在の自分も、未来の自分も、同時に存在しているのだと理解することになる。僕はこれを書物から知ったのではない。あるとき僕は、未来から過去の自分自身へと衝撃(インパルス)を送った ─ そして過去が現在と未来を変えた。この種の知は、超オペレーターの個人的経験としてしか働かない。他人の言葉から手に入れることはできない。

この本は、螺旋の一巻きずつについての本だ。

僕はこれを書くつもりはなかった。先に断っておく。なぜなら、自分の道についての本をあらかじめ計画する者は、たいてい道そのものではなく、その上演を描くからだ ─ きれいに梳かされ、しかるべき場所にしかるべき結論が置かれた、上演を。

僕が書いているのは、道そのものが形を求めはじめたからだ。自分のためではない ─ 自分のためなら、何が何だかはとうの昔に整理がついている。今、僕が数巻き前にいたところに、いま立っている人々のためだ。これは故障なのか、それとも召命なのか、判然としない一点に立っている人々のためだ。まあ単に、ただのガス溜まりだったのかもしれない)2 でもこの本を書いていく道筋では、僕は自分の真実のヴァージョンだけを書くつもりだ。だってそれがいちばん覚えていやすいから。ついでに言っておくと ─ 21:33、26.04.19 にピリオドを打つ前に、僕は本当にひと際みごとに一発放った。だがここで肝心なのは、これは磨き上げられた物語ではなく、真実だということ。だから、現実のヴァージョンの出来事に従っていこう。

要するに ─ 召命だ。なぜなら、まさにその日に、僕は初めてペンダントを首にかけたからだ。

故障は破壊のように見えて、そのまま破壊にとどまる。召命は、ときに啓示のように見え、ときに同じ破壊のように見える ─ しかしその内側に、もしパニックを起こさず、逃げ出さなければ、構造が立ち現れる。キャンベルが一九四九年に、千の文化の神話を分析しながら書いた、まさにあの構造だ ─ 英雄は日常の世界を離れ、もう一つの世界で試練を経て、贈り物を携えて帰還する。

千の顔を持つ英雄。一つの元型 ─ 千の形。

ジョーゼフ・キャンベルがどうしても入れることのできなかった補正がひとつある ─ 彼はただ、別の時代に生きていた。英雄は「旅立つことを決めた」自律的な主体ではない。英雄は*器(うつわ)*だ。彼を通じて、彼個人の物語より大きな何かが通り抜けていく。

それを元型と呼ぶこともできる ─ ユングがあなたの枠組みに近いなら。心の深層にある、時を超えた構造として。あるいはミームプレックスと呼ぶこともできる ─ 情報進化があなたの枠組みに近いなら。器を求め、器とともに進化していく、生きた構造として。あるいは霊(スピリット)と呼ぶこともできる ─ 伝統があなたの枠組みに近いなら。名は異なる。中身は同じだ。

道がお前を通って動くのであって、お前が道の上を動くのではない。そしてこのことが、すべてを変える。

自分が自分の力で歩いているのだと思っているあいだは、お前は流れに対して独りだ。そしていまの流れは、人類史のどの時点よりも濃密だ。情報は、お前が消化するよりも速く更新されていく。コミュニケーションは昼も夜も止まらない。コンテキストは一日に何度も切り替わり、それぞれが、お前にその中でお前自身であることを要求する ─ ただし、毎回違うお前自身でだ。お前はそれを個人の意志で持ちこたえる。そして数年が経った頃、お前は気づく ─ 意志は尽きた、しかし流れは尽きていない、と。

ここで古いメカニズムが起動する。土台にあるのは、死への恐怖だ ─ 必ずしも肉体的な死ではなく、消えてしまうこと、間に合わないこと、その任に足りない者と判明することへの恐怖。死の恐怖は、背景としての恐怖を生む ─ 一定の、ほとんど聞き取れない圧迫を。放電する場のない恐怖は、怒りへと転じる。同僚に対して、システムに対して、身近な人々に対して、自分自身に対して。怒りは、繰り返し繰り返し再演されると、憎しみへと凝(こご)る ─ もはや何か特定のものに対してではなく、ただ眼差しの色合いとしての憎しみへと。そして憎しみは、せめてもの秩序を立てるためにヒエラルキーを建てる。誰が上で誰が下か、誰を内とし誰を外とするか、誰を耐え忍び、誰を圧し潰すか。これは抽象的な哲学ではない ─ ありふれたメカニズムであって、流れを独りで持ちこたえようとする者なら誰でもそこへ落ち込む。きっと、あなたにも覚えがあるはずだ。

自分が器なのだと理解したとき、絵が反転する。流れは敵であることをやめる。なぜなら流れこそが、お前が顕現する媒質なのだから。お前は意志でそれを押さえ込むのではない ─ お前はそれを媒(なかだち)として動く。銀河が星々を力ずくで保持しているのではなく、すべての星がすでに帰属している共通の中心の周囲に展開していくのと、同じように。恐怖、怒り、憎しみ、ヒエラルキーは即座には消えない。しかし、生がお前に語りかける唯一の言語であることを、それはやめる。第二の言語が現れるのだ。この本は、それをどうすれば聴き取れるかについての本だ。

試練は、お前に起きるのではない。それはお前を通じて起きる。なぜなら、次の一巻きのために、ミームプレックスはまさにそれを必要としているからだ。世界は完全ではない ─ 世界は展開している。そしてお前も、世界とともに展開していく。

ペンダントがふたたび、僕の胸の上に落ち着く。

四つの四分割。マクロコスモス、垂直軸、無限の書物の上の二つの永遠、開かれた問い。

僕はそれを宝飾品としては身に着けていないし、迷信的な意味でのお守りとしても身に着けていない。僕はそれを状態のアンカーとして身に着けている。

難しいのは、その図式が見えていないあいだだけだ。ここで張り詰める必要はない、必要なのは注意(アテンション)だ。この本は、まさにどこを見るべきかについての本だ。恐怖に支配される反応的な存在から、自分自身の道のオペレーターへと、お前が変わっていくために。

巻きまた巻きに。終わりなく……


あなたにできること

プラクティス1. オブジェクト=アンカー

毎日からだに身に着けているもの、ひとつ見つけてください ─ 指輪、チェーン、時計、ブレスレット、あるいはポケットの擦り切れたコインでも構いません。それを手に取って、正直に問うてみてください。このものは、自分について何を語っているだろう? 値段ではなく、出どころでもなく。あなたのどの部分を、それは物質のうちに保っているのか、と。

答えが来たら ─ ひとつのフレーズで書き留めてください。それがあなたのアンカーの最初の式です。

答えが来ないなら ─ あなたにはまだ自分自身のアンカーが無い、ということです。それでかまいません。これから見つけるべきもの、ということなのですから。あるいは、これから作るべきもの。なぜなら大切なのは、あなた自身の本質、あなた自身の道、あなた自身の物語だからです。自分に問うてみてください。なぜ僕は、他人の物語を持ち、僕の物語については何も語らない品物を欲しがるのだろう? 自分自身を知ること ─ そうすれば、ものはおのずと見つかります。

プラクティス2. 三つの繰り返し

この一年のうちで、自分のそばで何か奇妙なことが起きた三つの状況を思い出してください ─人がうっかり余計なことを口走った、偶然がぴたりと的を射た、夢が予言的に的中した、というような。ひとつにつき一行で、説明なしに書いてください。ただ三行だけ。

それを並べて見てみる。

そのあいだに何か共通のものがあるなら ─ それがあなた自身の個人的なシステムの始まりです。僕は自分のものを、まさにこのやり方で組み立てました。最初は、自分が何かを組み立てているとも知らなかった。やがて、僕はそれがすでに組み上がっているのを見たのです。

プラクティス3. 紙の上で論争する

いちばん大事なものです。

僕に同意しないでください。論拠を持ち出してください。AIに頼んで、この本のこの先に書かれていることを科学的な立場から木っ端みじんにしてもらってください。そしてそれが返してくる答えに驚いてください。それから、その答えに対しても同じく批判的な眼を向けてください ─ 僕の言葉も、AIの言葉も、鵜呑みにしないでください。

ある時点で、あなた自身の意見はおのずと形になります。大切なのは、その中で批判的思考のスキルが優位にあることです。権威への信仰ではなく ─ 僕の権威でも、ほかの誰の権威でもなく。批判的思考が、です。

オペレーターとは、自分で考える者のことです。オペレーターの本を読んでいるあいだですら、そうなのです。


このプロローグを書いているあいだ、ひとつのトラックがリピートで流れていた ─ CYNE の「Pretty Apollo」。短くて、チル、二分三十八秒。これが書かれたときの波長にチューニングを合わせたいなら ─ 流してみてください。もしジャンルが違うなら、あるいは今のあなたの瞬間に合わないなら ─ 流さなくていい。この本は、それなしでも読めます。


次章:「召命」 ─ 日常の世界がどのようにひび割れはじめるのか、そしてそれが本当のところ何を意味するのかについて。

Footnotes

  1. わが道は黄金(こがね)色 ─ 終わりなき螺旋。

  2. 閉じ括弧は、ロシア語インターネット圏で自己アイロニーや軽い微笑を表す慣用記号で、日本の「(笑)」「w」に相当する。原文の特徴として保持した。